万が一の用心が健康を脅かす?
何のCMだったか忘れてしまいましたが、それを見た私は「ああ、またか」と溜息をついてしまいました。
おそらく除菌のスプレーみたいなものだったと思います。
菌がいなくなるイメージの後に、女性が赤ちゃんを抱き上げ、安心をアピールしていました。
確かはっきりと言葉にはしていなかったと思いますが、これを見た人は除菌で赤ちゃんも安心といったイメージを持つはずです。
このCMを見て私はふと思いました。
確かに赤ちゃんはそこら中のものを口に入れます。
赤ちゃんの誤飲は結構問題でもあります。
ただ、この口に入れるという行為には何か生物学的に意味があるような気がしたのです。
いつものようにネットでチラリと調べてみました。
どこまで本当かはわかりませんが、いろいろと言われています。
○何かを確かめる行為
赤ちゃんは視覚、触覚よりも口の感覚が発達していて、確認に口を使うそうです。
○脳など感覚の発達
上記の確認行為とリンクしているようですが、例えば視覚で確認したものを口で確認するということは見たものはこういうものだと認識することになるようで自分の感覚を確かなものにしていく行為になります。口で確認して脳や感覚をどんどん発達させていくのですね。
○免疫力の向上
あるサイトの説明では細菌に触れることで抗体ができ、免疫力が上がると言われてました。
私が考えたのは最後の免疫力向上に近いかと思います。
これまでにも、家畜などが身近にある人の方がアトピーになりにくいという報告についてはお伝えしたことがありました。
また、赤ちゃんの時に体内に取り込んだ菌は仲間になるが、大人になってからだと敵になることがあるという話も紹介したことがあります。
環境が清潔になってから、アレルギー疾患が増えたという研究もあるようです。
確かに万が一悪い菌に当たれば、何かの病気になる可能性はないとは言えません。
しかし、それよりも清潔にし過ぎるがために、未来に別の疾患を呼び込む要素を作っているような気がしてなりません。
万が一に備えるがために、百が一(千が一か十が一かもしれませんが…)の災いを呼び込んでいるような気がします。
ただ、除菌や抗菌などは手術など特別なケース以外の日常的なケースでも、もしかしたら必要なのかもしれないという話も今回のテーマに付け加えたいと思います。
私は人間のやることはいびつだと常々考えています。
自然から見ると、調和がとれていないように見えるのです。
例えば、プラスティックは自然界では簡単には分解されません。
少し前になるのですが、海の魚に分解されない(微細化した)プラスティックが含まれているという報道を見ました。
どんな健康被害が起こるかは分かりませんが、そういった魚を食べると人間の身体の中にもそのプラスティックが取り込まれる可能性があるのです。
私が住んでいる自治体では「プラ」の表示がないプラスティックは燃えるゴミで出すことになっていますが、時々燃えないゴミに出される方がいます。
燃えないゴミはおそらく埋め立てられることになるはずですが、そういったプラスティックはいつまでも分解されません。
遠い将来か近い将来かは分かりませんが、何かが起こり、人間に跳ね返ってくる時がくるのかもしれません。
人間が創り出したプラスティックといういびつなもの(自然界から見て)は燃やしたり再資源化したり何らかの人為的な手を加えない限り元には戻らないのです。
もう一つ例を上げてみます。
お風呂場がよくピンク色に汚れることがあると思います。
なんでもこれはカビではなく、ルドトルラという酵母菌らしいですね。
ただ、カビじゃなくて安心と思っていたら(気持ち悪いですが)黒カビを呼びこむ元になるとか。
最近の抗菌仕様のお風呂場でもこれが発生することは避けられないのではないでしょうか(もちろん毎日隅々までしっかり掃除していれば出ませんが、よっぽどのきれい好きでなければ、洗い難いところで発生させてしまいます)
おそらくこの酵母菌は自然界にはいたるところに存在するのだと思います。
しかし、自然界であのようにピンク色に染まるほどはっきりとその姿を現すことはほとんどないのではないでしょうか?
人間が創りだしたいびつな環境だからこそピンクに染まるほど大量発生するのだと思います。
自然界では他の菌や環境とせめぎ合いながら、適当に調和しているのではないかと…
人間が創った環境がいびつだから、いびつな状況が起こり、それを解消するには除菌や抗菌や掃除という人為的な操作が必要になってくるのではないでしょうか?
プラスティックの件もそうですが、これは人間の業、はたまた、贖罪とでもいうべきでしょうか?
最後に一つ。
いびつと言えば、私は薬もいびつだと思っています。
人間の身体は紛れもなく自然の産物です。
調和のとれている人間にいびつな薬を使うとどうなるのか?
いやいや、なぜ薬を使うかというと、病気といういびつな状態になったからこそ、薬を使うのだ。
これは理解できます。
ただ、病気のいびつだけをうまく取り除くことができるのならいいのですが…
いびつをいびつでうまく取り除いたとしても調和にはほど遠いような気がします。
人や科学は目に見える(データなどに可視化できるものも含む)ものだけしかうまく扱えません。
アトピーなど原因のよくわからないものに、いびつな薬で対処するのは難しいと思ってしまいます。
いびつをいびつで取り除こうとして、知らない間に調和をボロボロに崩してしまったのが脱ステをはじめる前の私だったと思います。
調和を取り戻すのにずいぶん時間がかかりました。
病気のいびつに対しても、はじめから調和を目指す方が良かったと今では確信しています。
少しテーマとずれてしまいました。
万が一にどう備えるか?
個人的には、具体的ではありませんが、万が一にこだわらないことも含めて、自然との調和の中にそれを見出したいと思います。
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